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会津戊辰戦史について

先日この会津戊辰戦史について山川健次郎の筆によるもので山川家寄りになっていると言う趣旨の意見を見ました。
驚いたので一寸一言。
お読みになればすぐわかる事ですがこの書は多くの方が丹念に資料を集めそれを健次郎が監修して上梓したものです。序文だけでも目を通していればこんな意見は出て来ないものと残念に思います。

内容がどんなに詳細に記されているか、目次だけでもうかがうことが出来ます。
目次と序文の要約を最後にを載せてみたので興味のおありの方はご覧下さい。

又先日中村彰彦さんの小説「修理さま 雪は」の中の「飯盛山の盗賊」の内容を「白虎隊士の遺体,は暫く発見されず、10月になってやっと発見されますが新政府軍は遺体を葬る事を許さず収容されたのは2月だったそうです。」
とご紹介したしたところ政府軍は埋葬を禁止などしていない、作家の捏造だとの意見がありました。
しかしこの会津戊辰戦史の巻十の中「白虎隊死体の埋葬」として滝澤村肝煎が放置を見かねて葬ったところ政府軍に捕らえられた事が出て来ます。
会津藩士の命を受けていなかったとして許されるのですが。
その後町野主永らが政府軍に掛け合って飯盛山の遺体に限り埋葬の許可を得るとあるので制約があったようですね。
その後に続けて、そのほかの戦死者の埋葬も掛け合って許可はやっとおりたものの場所を限られしかも拝殿や墓標を建てた所政府軍より拝殿は破棄墓標を撤去せよとの命令があったと書かれています。

同じ小説の中の「残す月影」
八重の話です。
巻八下に次のよう記載されていました。八重の話を探してやっと見つけたものです。
「川崎尚之助の妻八重子は山本覚馬の妹なり、篭城中に在り髪を断ち男子の軍装を為し銃を執って城壁又城楼より屡〃敵を斃せり、覚馬は西洋砲術を以て名あり、八重子は平生之を兄学びて練修し万一の用意を為せしなり。成人婦人の戦いに参するを諌めたるも八重子聴かず、進撃ある毎に必ず密かに隊後に加われり、この日八重子は城兵と共に城を出でんとするに当たり和歌を賦し潸然として涕泣す、人皆同情の感に堪へざりきと云ふ
明日の夜はいつこの誰かなかむらんなれし大城に残す月影」
小説と同じですね。

実はこの項に続けて中村半次郎らが城を接収する話になっています。
対応する会津方として「藩相山川大蔵」と各奉行の名があります。
さあ開城でこの場面出してくれるでしょうか。
大阪退去の際の活躍もスルーされちゃってますから・・・

目次と序文です。

巻一  大政奉還
巻二  鳥羽伏見の戦い
巻三  江戸及び近郊の形勢
巻四  總野の戦
巻五上 東方の戦上
巻五下 東方の戦下
巻六  越後方面の戦
巻七  会津の形勢
巻八上 会津城下の戦其の一 自八月十九日至八月二十四日
巻八中 会津城下の戦其の二 自八月二十五日至八月二十九日
巻八下 会津城下の戦其の三 自八月晦日至九月二十四日
巻九  南方の戦
巻十  戦後の処置
巻十一 付録

序文を一部原文のまま要約を交えて上げておきます。

緒言

「本書は会津戊辰戦史と題し、慶應三年十月大政奉還より筆を執れり、是れ会津藩に関する維新前の事蹟は郷人男爵山川浩氏の筆に成る京都守護職始末に詳記せるを以てなり。
明治戊辰に於ける会津史実に関しては、会津人又は他郷人の幾多著述ありと雖も、いずれも多少不完備の謗りをを免れざるは要するに資料の収集選択十分ならざるの致す所なり。」

このあと白井新太郎氏が資金を提供し藤沢、飯沼両氏と謀って戊辰戦史の編成を企画資料蒐集及び編集費に充当、旧藩主松平家よりも若干の寄付があり古河氏が編集の任に当たり数年で脱稿、とあります。

しかしまだ足りないとして
「詳らかならざるの憾みなきにあらず。是に於いて大正十一年十月同郷有志松平邸に相会して該史稿の訂正増補を為すことを決し同郷先輩男爵山川健次郎氏を擁してその完成を一任せり。」

健次郎は寄付を募り又私財を寄付し編纂委員を選定、監修して昭和六年完成した。とあります。

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