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2013年8月

八重の桜 米買い付け詐欺事件について

先日「会津戊辰戦史」について山川健次郎が書いた、と思っている人がいて驚いた事を一寸書きましたが、今度はドラマの31話の中で取り上げられた斗南藩の米買い付けの際詐欺に遇った事件について又々驚いたコメントを見たので取り上げて見ました。

柴太一郎が上司として取引に当たったのに川崎尚之助に全部罪を被せて酷い、と言うものでした。
とんでも無い話です。
色々資料はあると思いますがとりあえず手許にある石光真人編著「ある明治人の記録」から引用して見ます。
この本は2部構成で第一部「柴五郎の遺書」第二部著者による「柴五郎翁とその時代」となっています。
柴五郎は太一郎の弟で、義和団の乱の時北京で日本軍の指揮を取り彼と日本軍の礼儀正さ、勇敢さで共に戦った欧米の国ぐにから絶賛され後の日英同盟を英国から交渉されるきっかけとなったあのコロネル柴です。

柴五郎の遺書は戊辰戦争における会津城下の戦いから士官学校までの生活を覚書として綴られたもので斗南での少年時代の悲惨な生活などもかなり克明に記されています。

以下原文のまま記します。
興味のおありの方はご覧下さい。

斗南藩たちまち糧米に窮し、藩士を養う能わず。。三万石は名のみにて七千石ようやくなり。
協議の末、太一郎兄使者となりて函館に渡り、デンマルク領事ブリキストンより糧米を購入す。しかるに仲介者貿易商人、藩よりの支払金を横領し逃亡せり。デンマルク領事は藩政府を相手どり賠償を請求せる為、太一郎兄は迷惑の藩に及ぶを怖れ、自ら責任をとり、おのれの仕業なりと主張す。しかるに領事は藩の責任なりとして訴訟せる為、太一郎兄捕らわれて東京に護送さる。
兄の義侠により藩政府は莫大なる賠償を免れ、司法当局も兄の心情に痛く同情し、情状を酌量して、係争の長きにかかわらず、寛大なる禁固に処す。

太一郎は明治九年に禁固百日の判決が下りています。7年もかかったのですね。

この様子、そっくり尚之助とすり替わってます。
太一郎が家格から言っても責任者に間違いないのに尚之助一人の描写しかしないから誤解する人が出て来てしまう。
お得意のナレーションででも太一郎に言及すれば良かったと思うのですが。
どうして此処まで尚之助を持ち上げなければならないのかな。

ドラマですからある程度の創作は良いとは思います。が、何度も言っている事ですが遠い歴史の中の事ではなく当事者にとってはまだまだ身近な時代だと思うのです。
柴五郎さんも亡くなったのは昭和20年、終戦の年です。

創作はしても史実に名の残る方々には敬意を払って書いて頂きたいものです。
このドラマで一番欠けているところではないかしらん。

作者は綾野、長谷川の二人に入れ込む余り他の登場人物の扱いがおざなりでドラマ自体薄っぺらくなってしまって(と私には思えます)残念な作品になってしまいました。まだ終わってないけれど^^

この著書ですが特に第一部、会津戦から陸軍士官学校までの覚書ですが、斗南での零下20度の中裸足だったり、戸の代わりに筵を下げたり、有名な犬を食べた話など凄まじい困難な生活が生生しく迫って来て会津のその後を知りたい方にはお読みになる事をお勧めしたいです。
東京で山川家に寄宿した際旧暦10月に浴衣一枚の五郎が留学中の捨松の袷の袖を短く切って着せて貰う話など山川家も困窮の中、会津出身の子弟の面倒を見ていた様子がわかる話も出て来ます。薄紫の裾模様に桃色裏地の袷を少年が着て暖かいと喜んでいる様子は貧乏生活の中ですが一寸微笑ましく感じられる話でした。

八重の桜 第34話 帰って来た男

第34話 帰って来た男

明治8年新島襄がアメリカから帰国しました。
宣教師の資格と日本でキリスト教の精神に基づいた学校を開設する為の資金を持って。
渡米した使節団の随行員として知り合った木戸を頼った襄は京都の覚馬を紹介されます。

八重は覚馬に言われて聖書を学ぶようになります。
覚馬は聖書の中に恨みや憎しみを超えた物があると感じ、それ故八重にも聖書を学ぶようにさせたのですね。
国が滅ぶ辛い経験をした八重、そのトラウマを乗り越える為には八重自身が新しい道を探すしか無いのだから。
八重はまだキリストの教えに納得出来ていませんが。

聖書を学ぶ宣教師の家で襄に出会う八重。
襄はやがて学校を作る為協力者の山本家に同居するようになります。

10年もの長い間アメリカで暮らし女性を尊重し明るくフランクな襄、オダギリジョーは思ったよりずっと良かった。
八重との関係もとても良い感じでした。
そういえばオダジョーは一時とても好きだったのでした・・一年間ほど^^

今の所京都の様子は中々良い雰囲気ですが・・・会津の復興は何処へ?
7ヶ月も費やして会津藩の運命を辿って来たのに何かこの展開は納得し難いものがあります。

旧会津藩の事は申し訳程度に、同年東京の山川家。
健次郎がエール大学を卒業、5年の留学を終えて帰国します。
浩は前年の佐賀の乱に出征して左手を負傷、しかし中佐に昇進しています。
山川家には会津藩士の子弟達が大勢書生として住みこみその為いつも貧乏、質屋通いが常の事です。
佐川官兵衛も訪ねて来て前年300人の会津藩出身者を連れ警視庁に出仕していることなどの説明が。
健次郎の今後について浩は新政府にはお前の学んで来た事を生かす道はないと、又官兵衛も軍人はいけない、会津出身者は冷遇されているからと説明。健次郎はどの道にも進まず学問の研究をしたいと言います。後に現東大総長になる第一歩です。

冷遇と言えば陸軍では長州の意向でどんなに軍功があっても会津出身者は大佐迄と言う事になっていたそうで浩が少将に昇進した時は山県有朋が会議に欠席した際決めてしまったとか。
山県が激怒した為浩の少将昇進には天皇の勅許を頂いたとか。
でも浩の昇進で前例が出来たせいか柴五郎、出羽重遠が大将になっていますね。

しかし予期してはいましたが余りの省略には・・・
浩が谷干城の要請で軍に出仕した事も、佐賀の乱も全部スルー。
いつの間にか軍に入って左腕を負傷、そしてどうやら昇進したけれど現在は休職中らしい・・

妹の操と結婚し佐賀で戦死した小出光照の話も一切無し。
小出光照は子供の時からの親友でこのドラマでも(史実どおり)竹村秀俊と共に第1話から出ていて斗南までずっと浩と行動を共にしていました。
一寸で良いから触れて欲しかったです。

このドラマが最初発表されたcaptionどおり復興がテーマなら会津の復興は大事ではないのでしょうか。
それなら山川家は会津復興のエースじゃないかしらね
もしかしたら八重個人のトラウマからの脱却が復興なのかな。

会津の子弟を常に居候させていた山川家。この時期陸軍幼年学校に入学していた柴五郎の姿もあったはずです。
斗南で米の買い付けに関わった柴太一郎の弟ですから尚之助一人の事件にしなければ此処で別の話が生まれたかもと思うと残念です。

山川一家と玉ちゃん大好きな為ドラマをナナメに見ちゃってる私かな^^
とりあえず?斗南以来の玉ちゃん、私の好きな感じで嬉しい。
二葉さんの登場も嬉しい、市川さんの演じる二葉大好きです。官兵衛さんもおまけに^^
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八重の桜 八重と捨松など

八重の桜も明治編へ。あ、違いました、京都編でしたね。

会津藩消滅から再起をかけた斗南藩も廃藩置県で消滅、藩士達は各地に離散大変な苦労の人生を歩みます。
そんな中会津に関係なく京都で教育に専念する八重兄妹に共感出来ずドラマへの興味も薄れがちです。
八重は京都で兄と再婚した夫の手助けをして教育に関わり、夫の死後は日赤の社員、篤志看護婦として活躍します。
これって大山捨松と思いっきり重なるんですね。
捨松が中心になって集めた義捐金を元に日本初の看護学校が設立され、自らもアメリカで取得した看護婦の資格を生かして活動しています。
又華族女学校の設立にも関わり、津田梅子の英学塾の設立にも全面的な援助をしています。

教育と言うなら東大総長になった健次郎は言うまでも無く浩も軍人でありながら東京高等師範、東京女子師範の校長を兼務、姉二葉も女子師範の舎監など教育一家です。

復興がテーマなら京都守護職始末を刊行して会津の汚名を雪いだ山川兄妹の方がこの大河の主人公に相応しかったと思うしそういうご意見もかなりあります。
どうせなら神保修理をもっと書き込んで弟で七年史を出版、これも会津の潔白を訴えた北原雅長も出せば完璧でしたね。

今更言っても仕方の無い事ですが折角会津から見た戊辰戦争を取り上げたのですからもっと面白く造れたのにと残念です。

愚痴を言う積もりは無かったんでした。
先日由良弥生著「新島八重と幕末」サブタイトル「会津に咲いた八重の桜」を読みました。
2012年3月30日初版です。

扉のコピーは「武士の誠を尽くし幕府と朝廷の間で翻弄された会津藩。
動乱のさなか、佐久間象山、勝海舟に師事した兄覚馬より薫陶を受けながら砲を学び、篭城戦では断髪・男装。
スペンサー銃を手に敢然と戊辰戦争を戦い抜いた会津のジャンヌダルク新島八重の壮絶な生涯!」
その通りでした。
表紙の装丁が八重の写真で本文の書き方から最初はノンフィクションだと思って読んでいたのですが途中から色々気になる事が。

恋話では無いのですが大蔵が八重と関わる話が幾つか。
大蔵と八重の関わりは他では全く見られないのでこれは「幕末銃姫伝」を参考にしたのではないかと。
幕末銃姫伝からと見られる話は覚馬の妻うらが日新館の女中だった事や八重が覚馬から銃を学ぶいきさつなどもそっくりです。
大河も八重と大蔵の関係を裏返しに使っていますから良いのかなと思うけれど、不思議な本でした。

この著者の方、今年の5月に「黒田官兵衛と乱世の妻達」を出版されています。
官兵衛の生涯は知られている通りで格別目新しい事もなく期待した「妻達」、も官兵衛の妻光姫、ガラシャ夫人、濃姫、お市の方などこれも知られている事ばかり。
この時代は様々な武将が本や映画、TVで取り上げられている事が多いですから期待した方が悪かったかも知れません。

この方の本は一時評判になった「大人もぞっとする初版グリム童話」を読んだ事がありました。ある意味興味深かったですけれど子供には読ませたくない本でした。

八重の桜 第33話 尚之助との再会

第33話 尚之助との再会

八重は京都で日本初の公立女学校である女紅場で英語を学びながら寄宿舎の舎監をしています。

中央の政治の舞台では対朝鮮への姿勢を巡って意見が対立、早くも薩長土肥の権力争いが起こっています。
その政争に巻き込まれて覚馬の協力者の槇村は訴えられて東京へ移送され覚馬と八重は槇村の解放を求めて政府の要人に会いに上京します。
結局槇村は江藤新平が下野した為解放されるのですが。
江藤新平が突然の登場、この政治状況駆け足すぎて理解し難いのでは。
このドラマずっとそうですが判らなければ調べなさいと言った姿勢がちらちらします。
一寸どうかと思うけれど。

上京した八重は裁判中の尚之助と再会します。
困窮して寺子屋をして生計を立てていると言う尚之助、八重は斗南へついて行かなかった事を悔やみこれからお傍にいます、と言う。
しかし尚之助はあなたは新しい時代に生きる人だもう此処に来てはいけないと言います。
此処だけなら中々泣かせる良いシーンでした。

でもあとがいけないわ。
八重は何故京都で待ってるからと帰ってしまうの。
この展開なら覚馬が助けても良いでしょうに。
新政府の要人ともお知り合いなんだから。見捨てた覚馬さんは、て思っちゃう。
史実に無いからそこまで創作出来なかったんですか、大蔵が八重を好きなんて無茶な設定のように結構色々創ってるのに。

最近わかった事実だと尚之助の世話は山本家ではなく権八の実家が見ていたようですね。
この書き方だと覚馬さんだけでなく一寸斗南藩にも酷いわね。
尚之助に罪をかぶせた浩の責任はなんて言ってる人もいるし。
過失にしろ詐欺にあったわけだから全くの濡れ衣って訳では無いし、大体この事件の当事者は柴太一郎でしょう。
きちんと書かないでひたすら尚之助を良い人にしちゃってるから無収入で旧藩士子弟の面倒を見てた浩さんが責められちゃう。
事実を無視してドラマだけ見てると一万数千人の為に鬼になった浩さんより援助出来るのに見捨てた八重兄妹の方が酷いんじゃないか、なんて思っちゃう。

すみません、浩さんの事になると熱くなってしまって。

次週は「帰って来た男」
襄が本格的に登場します。
もう明治8年、駆け足も良い所です。
帰って来た男は襄だけでなく健次郎も同年に帰国してますね。予告に一寸出てました。
と言う事は前年の7年に起きた佐賀の乱はナレーションだけでしょうか。
更に言うなら6年谷干城の要請で陸軍に出仕した浩さんの事も触れるかどうか。

7ヶ月も会津の話だったのでこの展開私は余りのっていかれません。
襄の登場でどの位面白くなるか・・・

浩さんです。いつ頃の写真でしょうか、2枚目は有名な写真ですが西南戦争の頃としたら32才位ですか、もっと後かな。肩章が見えないので良く判らないです。

O1  Oo1a

余計なお話
紀行で八重が舎監をしていた女紅場は今の京都府立鴨沂高校と紹介されました。
そう言えば聞いた事はあったけれど、すぐジュリー、田宮二郎の母校と反応するおばかな私です^^

八重の桜、気になる先のお話

NHKのスタジオパークでは撮影中の様子がモニターTVで見学出来るようになっています。以前は窓越しに見られたような記憶がありますが思い違いかも知れません。
そこで見て来られた方が詳細なレポを書いていらして八重の桜の先が知りたく時々覗きに行ってます。
41話、43話と捨松中心のシーンの撮影のようですが吃驚したのは43話。
何と山川家に八重夫婦が登場、しかも大山巌と八重が腕相撲をするんだそうです。
襄は捨松と知り合い(このドラマではそうなってる)八重と浩の関係はご存知の通りですからこの夫婦の訪問はこじつけられるとしてもです。(それだって嬉しくないけれど)
腕相撲は無いでしょう。
以前NHKは「大河ドラマは歴史の勉強では無い」と言ったとか。
まあ確かにその通りではありますけれど大山と捨松の結婚は本人はともかく山川家にしても会津の人達にしてもとても重いものだったはずです。
いくら鶴ケ城攻防の思い出話としても一寸ふざけすぎではないかしらん。

それに何度も言っていますが明治の頃は歴史と言うよりもっと近い過去なんだと思うのです。
私の父方の曾祖母は親が徳川の旗本で幕府が瓦解した後静岡までついて行った為静岡で生まれています。
当然その当時の事は知らないでしょうが両親から聞いた事を良く孫やひ孫に話してくれたものでした。
明治維新とは言わずご一新と言っていた事など思い出します。

戊辰戦争の当事者だった会津のご子孫の方々はこのドラマをもっと身近な思いで見ていらっしゃるのではないかと思うのですが。
面白くする為話を創るのは結構ですが余り節度の無い書き方は疑問です。
こんな展開誰が喜んで見るのでしょうか。
撮影してもその通り放送されるかどうか不明の段階で騒いでも、とは思いましたがとても気になったので取り上げました。

とにかく初恋設定だけでうんざりなのに、これ以上山川家で遊ばないで頂きたいです。

もう一つ気になるシーンの撮影が報告されていました。
尚之助が「会津戦記」なるものを書いて目を通した浩が涙するのだそうです。
京都守護職始末や会津戊辰戦史まで尚之助の手柄にしないでしょうね。
まさかとは思うけれど今までの事を思うと心配になります。

八重の桜 第32話 兄の見取り図

第32話 兄の見取り図

京の覚馬の家での暮らしが始まった八重たち。
時栄とはお互いかなり気まずい感じですね。

気になったのは覚馬がうらをどう思っているのか、京へ呼び寄せて妻妾同居するつもりだったのか全く書かれないままでは見ていて釈然としない。
再会の時あれだけ感極まった様子だったのにその後のそっけない態度は一寸。
脚本か演出か俳優の演技のせいか覚馬の感情がこちらに伝わって来ないんですね。

それは佐久も全く同じです。時栄を嫁として認め何事も巡り合わせの一言で片付けてしまう。
文字どおり生死を共にしたうらへの思いが伝わってきません。
脚本ですか、演技のせいかどちらですかねえ。

家の事は時栄に任せて八重には学問をと言う覚馬。
府庁に出仕する時に八重をつれて行き仕事ぶりを見せます。
上司の槙村は長州出身、八重はかつての敵に協力している覚馬に薩長への恨みをぶつけます。


覚馬は会津藩本陣のあった黒谷の金戒光明寺へ連れて行き何をしたいか語ります。
新政府が捨てたここ京に文明の町を作る、武力に潰される事のない文明・・・知恵と学問で。
それが自分の戦だと。

この兄妹の話し合いの場面は良かったと思います。
良い場面もあったりするんですけれど・・・

八重は女子の為の学校女紅場で寄宿生の監督をしながら勉強する事に。
西郷から薩摩の藩邸を買わないかと言われる覚馬、後の同志社の基礎となる場所です。
しかし良くお金があったものですね。会津藩士達は斗南で塗炭の苦しみを経験していたと言うのに。

捨松が登場しましたがこういった出し方はどうなんでしょう。
捨松達留学生は岩倉使節団に同行して渡米しているし新島襄は随行員だから会う場面があっても不自然ではないですけれど、何故アメリカにいるのかほんの数語のセリフの説明しかない。
良く判らない人もいるのでは・・・
こんな場面を作るより国費留学の話があって応募する迄の話を見せて欲しかったです。
何故全部省いちゃったのかな。

それとこの女優さんの捨松役は凄く不満。
他の山川家のキャストが皆凛として育ちの良さを伺わせているのに一人だけ異質です。
会津の武士の娘・・・それも家老職の家に生まれたとは思えないです。

しかし、
この作家は素敵な男が書けない人なんですねえ。
この覚馬のどこが良いのかさっぱり判らない。
あれだけ肩入れした容保も只の情け無い人にしか見えない。
大蔵さんの一時期の熱血お馬鹿さんぶり。
かなり美味しい役のはずの修理のいてもいなくても良い書き方等々。
どうして皆素敵に書かないのか理解できないです。
それと尚之助を持ち上げる余り人のした事をとってはいけません。
洋式軍事訓練の場や米買い付けのところなど。

玉山さんが出ないとnegative思考になって駄目ですね^^

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二十四の瞳ほか

二十四の瞳

4日の夜9時から放映されました。
木下監督生誕百年記念だけでなく終戦特別企画だったんですね。

映画は当然見ていないし原作も読んだはずなんですが細かい事は覚えていない・・・
大体こんなお話だったなあと。

ドラマは、昭和3年小豆島の分教場に新任の大石久子が先生として赴任、12人の1年生の担任になるところから。
洋服姿で自転車にで登校する大石先生に村の人達は反感の目を向けますが、朗らかで優しい先生に子供達はなついて慕うようになります。
その様子に村の人達も心を開くようになって行く・・・

いわゆる満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争へと向かう時代を背景に久子と生徒達の交流がそれぞれの暮らしと共に書かれています。

久子は戦争中心の教育について行けず教え子達の卒業と共に教師を辞職、それより前に結婚した三郎との間に3人の子に恵まれています。

戦争は益々拡大、かっての教え子達を戦場へ送り出す久子は密かに生きて帰ってと伝えるのですが。

夫は戦死、母と末娘を病気で相ついで無くした久子は終戦後1年たった昭和21年再び教職に復帰します。
新しい生徒達の中にはかつての教え子達の近親もいて涙ぐむ場面も。

そのかっての教え子達は戦死した者、負傷して失明した者、病死した者など様々な道を辿っていますが消息のわかった子達と再会する場面で終わっています。

淡々とした話の運び、声高に反戦をうたうのではなく、戦時下における庶民の生活を通して戦争の理不尽さを静かに語っている内容ですね。

夫役の玉山さんは、
大河出演中なので髪型、髭など大蔵さんのままなのですが流石と言うべきか、俳優なら当たり前と言うべきか^^全く印象が違って見えました。
何より雰囲気が柔らかいです。同じ真面目な顔でも違ってます。
力まないで良い感じでした。
直前に見た大蔵さんが凄い演技だったので余計そう感じたのかも。
最初思っていたより出番多かったし。

小豆島と言うと言葉はどこになるのでしょうか。
イントネーションなどで「帽子」の吾郎を思い出しながら見ていました。
帽子も直接戦争は出て来ませんがやはり戦争の遺した辛さ、重さを見る者の胸に強烈に語りかける秀作でした。
たまたま今日は広島に原爆が投下された日でした。
帽子の製作時、撮影まで原爆ドームを見ないで下さいと言われた玉ちゃん、始めて見たドームどう感じたでしょうか、聞いてみたいです。
私が始めて見た時の衝撃を思うと戦争について何を語るより広島、長崎を見るべきと思います。特に子供たちは。
話が逸れてしまいました。

帽子程の感激は無かったものの、まあ普通に良かったかな。
途中一寸退屈したところもあったけれど。

真っ黒に日焼けしてる玉ちゃん、大蔵さんは黒くないのに・・・

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八重の桜

あっと言う間に斗南は終わってしまいました。
ドラマでは触れていませんが藩再興の時斗南と猪苗代とのどちらかを選択出来たという事になっていたようでした。様々な理由から藩首脳部が斗南を選んだ、と。
最近星亮一氏の本を何冊か読んでいたら猪苗代は会津側の願望で政府は最初から全く考えていなかったと書かれていました。
中村彰彦氏によると葛西富夫氏作「斗南藩史」にはどちらかをの内意が朝廷からあったと書かれているそうですがどのような史料によるかはわからないと書かれています。
最近は猪苗代案は無かった説もかなりあってそうなると藩を挙げて流罪にされたと言う説も有力になっているようですね。

会津戊辰戦史には
「十一月(明治)容大公に家名相続を命ぜられ、華族に列し、陸奥国に於いて三万国を賜う」とだけ記されています。

わずか140年程前の事なのに不確かな事が多いんですねえ。
紙に書いてしか残せなかったので散逸した資料も多かったと言う事でしょうか。

どちらにしてもドラマは2年を10数分で通り過ぎてしまいました。
あまりにも悲惨で書かれなかった方が良かったのかも知れませんが物足りない思いもあります。
容大公とは会津落城直後側室から生まれた容保の実子です。お家再興運動をしていた藩に「容保実子を以て願い出るように」と伝えられ平馬と大蔵が藩総代として願い出ています。

2才で藩主になった容大さんは父母と離れてさいはての斗南に来ていたのですが。
そんな話も全くスルーでした。

次回からは殆ど京都なんでしょうね。浩さんの出番はどのくらいあるのか気の揉める事です。

八重の桜 第31話 離縁のわけ

第31話 離縁のわけ

会津藩の再興が認められて斗南に移住した会津藩士達を待っていたのは寒さと不毛の地。
大幅に減らされた3万石でも成り立たない暮らしなのに7千石がやっと。
飢えと寒さに死ぬ者も多数出て惨憺たる状況だったようです。
最高責任者の山川大蔵改め浩の苦労は大変なものがあったと思われます。

米澤の八重の許に届いた尚之助からの離縁状。納得出来ない八重です。

北海道の米の買い付けに行っていた尚之助は仲買人に代金を詐取されてしまい取引相手から訴訟を起こされています。
藩命かどうかの問い合わせに浩は関係ないと答えます。
今その金額を支払ったら斗南藩一万七千人は飢え死にしてしまう。
その為に鬼になると言う浩。
藩には関係なく自分の一存だと答える尚之助。その為の離縁状だったと言うわけだったのね。

この事件は柴太一郎が関わった事件ですよね。
尚之助の事は最近判った事だと思います。
その太一郎を出さないで尚之助一人が犠牲者のような書き方をする。
ドラマだからかなりの脚色は仕方無いのかも知れませんが、一寸納得しがたいですね。

そうそう、吹雪の中で倒れていたユキを斉藤一が助けます。
斉藤は移住する舟の中で出会った時尾一家と暮らしていました。

新政府は戊辰戦争で莫大な出費をし国を治める事に支障をきたし廃藩置県を制定。
武家の時代は完全に終わりを告げます。

多くの犠牲を出し苦労を重ねた斗南移住もその苦労も実る事なく2年で藩は消滅します。

離散する藩士達の力になる事を決意した浩は東京に出ると平馬に告げます。
平馬は二葉に、息子を連れて山川家へ戻れと言い、浩に連れて行ってくれと頼みます。
別れたくないと言う二葉にもうやり直す気力もなく抜け殻だと言う平馬。
この二人の離婚はもっと早かったと思いましたが「離別」テーマのこの回に持って来たんでしょうか。
この時入城の時はぐれた息子が無事だった事がわかります。今頃ですか・・


一方米澤の八重の所に京の覚馬から使いが来ます。
1年前に放免され京都府に出仕する事になったと。
生きていたと喜ぶ八重達ですが覚馬には京で若い女との間に子迄産まれていると言う。
八重は女を追い出して貰うよう覚馬に文を書こうとしますが止める佐久「覚馬の子迄追い出すのか」
何年かのちの八重と時栄の関係を匂わせてるのかな。

うらは悩んだ末、みねを八重と佐久に託して別れる事を決意。
京で向こうの親子と同居は出来ない、きっと嫉妬してしまう。情け無い姿をみねに見せたくない。
私にも女の意地がある、旦那様には紅い櫛の似合った頃の自分を覚えていて欲しい、と。
長谷川さんとても切なくて良かったですね。

八重達は会津へ帰るうらと別れて京の覚馬の許へ。
出迎える時栄はすっかり「妻」でしたね。
しかし覚馬は勝手すぎますね、この体だから探しようが無かった、って。
子供を産ませる事は出来たのに・・・すみません、はしたなかったわ。

いやー進行の早い事、容保父子が斗南を訪ねた事もスルーでした。
広沢安任が斗南に残った事も。
広沢が釈放された事の説明もなくいつの間にか復帰してましたし。
登場人物の造形の浅さが目立つこのドラマ、広沢安任の書き方も不満です。
もっと視野の広い大きい器量の人なのに。

ナレーションと紀行で大事な事を進行させるのはいつもの事ですね。
又々不満が出ましたが先週に続き玉山さんが素敵だったからまあ良いか^^
綺麗なお顔ですねえ。
「鬼だ」と言った時と廃藩を知った時の涙・・・しびれました。

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WOWOWドラマ出演など

毎週必ず八重の桜を見て感想を書くのにかなり草臥れて来ました。
出来が良ければ、そして玉山さんの演じる大蔵さんが素敵に書かれていればこんなに疲れないのですが。
草臥れている間に玉山さんの他の出演作の放映が近づいて来ました。

新しいところでは今日WOWOWからドラマW「LINK」の製作発表がありました。

公式からのご紹介です。
『ひとりの行動が他の人の行動の原因となり、それがまた別のひとりの行動につながる…。
物語が次々と連鎖し、やがてスケールの大きな群像劇へと発展していくヒューマンミステリーが登場。全5話構成の完全オリジナルストーリー。』

出演は大森南朋、田中麗奈、玉山鉄二、ミムラ、田中直樹、綾野剛、武田鉄矢、黒木瞳と豪華な顔触れです。
ドラマWははずれが割りと少ないので大いに期待したい所ですが。

監督は映画監督の深川栄洋氏、白夜行しか知りません。
白夜行はTVの方がずっと良かった記憶が。

脚本は篠﨑絵里子氏のオリジナルです。
沢山の脚本を手がけてますが殆どが原作の脚色です。
八重の桜と言うオリジナル脚本の壮大な失敗を毎週見せられているので一抹の不安が・・・

始まりもしないのに心配しても仕方がありません。
面白いと信じて玉山さんに又会えるのを楽しみに放映を待っています。
10月6日スタート、毎週日曜10時から5週連続です。

その前にテレビ朝日のSPドラマ「二十四の瞳」の公開があります。
今度の日曜4日、もうあさってですね。
内容は今更言うまでも無い壺井栄の原作を木下恵介監督が映画化して不朽の名作と言われました。
木下監督生誕100年記念しての製作。
主演は松下奈緒、玉山さんは夫で観光船の船員。包容力があり久子の良き理解者、と紹介されています。
途中戦死してしまうのでどれ位出番があるでしょうか。沢山あると良いな。
真っ黒に日焼けして奈緒さんを後ろに乗せて自転車に乗っている写真が公開されています。

玉山さんを好きになってすぐ松下さん主演の朝ドラ、ゲゲゲの女房の相手役のキャストの予想が盛んに取り沙汰されていて玉山さんの名前も結構上がっていたのを思い出しました。
長身の松下さんの相手と言う事で名前が上がったのでしょうね。

そうそう出演が決まって公開を待っている作品がもう一つありました。
10月公開の映画「陽だまりの彼女」
原作に無い役、主演俳優は余り好きじゃない、ストーリーも苦手と揃ってしまっていくら玉山さん出演でも見に行かないと思います(多分)

二十四の瞳から

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