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八重の桜 米買い付け詐欺事件について

先日「会津戊辰戦史」について山川健次郎が書いた、と思っている人がいて驚いた事を一寸書きましたが、今度はドラマの31話の中で取り上げられた斗南藩の米買い付けの際詐欺に遇った事件について又々驚いたコメントを見たので取り上げて見ました。

柴太一郎が上司として取引に当たったのに川崎尚之助に全部罪を被せて酷い、と言うものでした。
とんでも無い話です。
色々資料はあると思いますがとりあえず手許にある石光真人編著「ある明治人の記録」から引用して見ます。
この本は2部構成で第一部「柴五郎の遺書」第二部著者による「柴五郎翁とその時代」となっています。
柴五郎は太一郎の弟で、義和団の乱の時北京で日本軍の指揮を取り彼と日本軍の礼儀正さ、勇敢さで共に戦った欧米の国ぐにから絶賛され後の日英同盟を英国から交渉されるきっかけとなったあのコロネル柴です。

柴五郎の遺書は戊辰戦争における会津城下の戦いから士官学校までの生活を覚書として綴られたもので斗南での少年時代の悲惨な生活などもかなり克明に記されています。

以下原文のまま記します。
興味のおありの方はご覧下さい。

斗南藩たちまち糧米に窮し、藩士を養う能わず。。三万石は名のみにて七千石ようやくなり。
協議の末、太一郎兄使者となりて函館に渡り、デンマルク領事ブリキストンより糧米を購入す。しかるに仲介者貿易商人、藩よりの支払金を横領し逃亡せり。デンマルク領事は藩政府を相手どり賠償を請求せる為、太一郎兄は迷惑の藩に及ぶを怖れ、自ら責任をとり、おのれの仕業なりと主張す。しかるに領事は藩の責任なりとして訴訟せる為、太一郎兄捕らわれて東京に護送さる。
兄の義侠により藩政府は莫大なる賠償を免れ、司法当局も兄の心情に痛く同情し、情状を酌量して、係争の長きにかかわらず、寛大なる禁固に処す。

太一郎は明治九年に禁固百日の判決が下りています。7年もかかったのですね。

この様子、そっくり尚之助とすり替わってます。
太一郎が家格から言っても責任者に間違いないのに尚之助一人の描写しかしないから誤解する人が出て来てしまう。
お得意のナレーションででも太一郎に言及すれば良かったと思うのですが。
どうして此処まで尚之助を持ち上げなければならないのかな。

ドラマですからある程度の創作は良いとは思います。が、何度も言っている事ですが遠い歴史の中の事ではなく当事者にとってはまだまだ身近な時代だと思うのです。
柴五郎さんも亡くなったのは昭和20年、終戦の年です。

創作はしても史実に名の残る方々には敬意を払って書いて頂きたいものです。
このドラマで一番欠けているところではないかしらん。

作者は綾野、長谷川の二人に入れ込む余り他の登場人物の扱いがおざなりでドラマ自体薄っぺらくなってしまって(と私には思えます)残念な作品になってしまいました。まだ終わってないけれど^^

この著書ですが特に第一部、会津戦から陸軍士官学校までの覚書ですが、斗南での零下20度の中裸足だったり、戸の代わりに筵を下げたり、有名な犬を食べた話など凄まじい困難な生活が生生しく迫って来て会津のその後を知りたい方にはお読みになる事をお勧めしたいです。
東京で山川家に寄宿した際旧暦10月に浴衣一枚の五郎が留学中の捨松の袷の袖を短く切って着せて貰う話など山川家も困窮の中、会津出身の子弟の面倒を見ていた様子がわかる話も出て来ます。薄紫の裾模様に桃色裏地の袷を少年が着て暖かいと喜んでいる様子は貧乏生活の中ですが一寸微笑ましく感じられる話でした。

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コメント

はじめまして。

川崎尚之助さんが「藩は無関係」と自白したのがわかったのは、2011年のことです。

あさくらゆう氏が札幌市の北海道立文書館にて裁判の公文書をみつけ、
そのことが2011年12月30日 日本経済新聞朝刊 に掲載されました。

新聞に掲載はされてはいませんが、自白の内容は
「多人数之飢餓傍観黙止難クヨリ全ク自己之存意ニ任セ取組申候」
というものです。

今回、大河ドラマをやるにあたり、「八重さんの最初の旦那って
どんな人???」ってのがよくわからず、歴史研究家の方々が
いろいろ調査した結果、多くの新史実が見つかり、それをドラマに
反映したら、ああいう川崎尚之助さんが出来上がったようですね。

持ち上げなきゃいけない、というより、今まで彼は「逃げた」とか
「八重を捨てた」とか「会津藩士ではなかったから開城時に追い
出された」とか不名誉な語られ方をしていたため、「今まで
すいませんでした」という鎮魂の念が働いてるのかもしれません。。。

この裁判に関する詳細なことも調査で分かってきたようです。
なので、太一郎さんの話を尚之助さんにすり替えたわけでは
ないです。(確か、太一郎さのほうはそのような自白をしたという
資料は見つかってなかったと思います。)

事件について、興味があったのでいろんな方の著書を読んでみましたが、
斗南藩のほうでも二人を救う余裕などなく、「藩とは無関係」とした上、
他藩出身者で後見者もいない尚之助さんについては、「斗南藩士でも
ない」と切り捨て、藩の資料からも名を消したようです。

柴五郎さんの書いた文章に太一郎さんしか出てこないのは、そういう
事情のため、兄の口からも他の会津(斗南)藩士の口からも、事件の
詳細について川崎尚之助」の名が語られなかったからではないか?
という見方をされていました。

余談ですが、柴四朗さん(東海散士)が、「世界盲人列伝」の中で
尚之助さんのことを「盛年有為の洋学者にして、加藤弘之と神田孝平
と名を齋(ひとし)うす。会津に入らずんば名を天下に揚げんこと
難(かた)からざりし」 と語っているとのこと、案外、柴家にまつわる
資料の中から、面白い新史実が見つかったり、と思いました。

※ドラマで柴太一郎さんのことをすっ飛ばされた件については私も
大変残念でした。いつか、機会あったら斗南藩で生きた方々のドラマ
を作り、その中で「斗南藩広東米事件」を詳細に描いてくれたらなぁ。
と思っています。

たびねずみさん こんばんは
はじめまして

ご訪問有難うございます。

尚之助の記録等が発見されたのは仰るとおりですね。

私は尚之助の人柄や事跡に対して文句を言っているわけではありません。
作者のドラマ製作に対する姿勢に不満があるのです。

尚之助は主人公の夫ですからある程度の美化は良いと思っています。
しかし人のエピを持って来てはいけないでしょう。
すりかえたと言う表現は不穏当だったかも知れません。
しかし柴太一郎を取り上げなかったのはどうかと思います。
尚之助一人に同情が集まってしまい、斗南藩や覚馬まで悪く言う人が出て来てしまっています。
太一郎が罪を被った記録は無いと仰いますが五郎の記録は参考になりませんか。
当時子供だったとしても実兄の事です、まして四朗も居た事ですから信頼できるのでは。
現にこの場面は五郎の記述そのものではないでしょうか。


私は浩が好きなだけに作者が浩のエピを他人に持って行くのがとても気になるのです。フランス士官のシャノワーヌから砲術を習ったのを尚之助にしてしまったり、ま、これは余計な事でした。


こんにちわ。

投稿させていただくにあたり、随分と推敲しましたが、文章を書く
というのは難しいものです。ちょっと説明不足だったでしょうか。

>太一郎が罪を被った記録は無いと仰いますが五郎の記録は
>参考になりませんか

太一郎さんは禁固100カ日の刑に処せられてますね。
自白をした記録については見つかってなかったと思いますが、
「罪を被って無い」とは考えてないことは、「斗南藩のほうでも
二人を救う余裕などなく」という文章から察して頂ければ幸い
です。

また、五郎さんの記録を参考にしていないのではなく、
その後に書いている「なぜ五郎さんの文章に尚之助さんの
名がなかったのか?」の謎について、私は興味を持って
います。

柴太一郎さん・五郎さんの話については、竹内力雄さんの
書いた「八重の夫・川崎尚之助の真実」という本が出所です。
この事件について、大変詳細に記されていて面白いので
興味がございましたら、ぜひご一読を。

こうして史実をみながらドラマみると、「それ違うだろ」という
ツッコミどころ満載です。確かにドラマだけ見ると、大きな
誤解も生まれるでしょうね。まぁ、坂本龍馬にしても新選組
にしても、誰に重点を置くかで見方が変わってしまいますし・・・
これは世の常なのでしょうか・・・

山川浩さんがお好きとのこと、星亮一さんの「会津藩流罪」
は御既読でしょうか?ドラマは八重さん主役のため、離れて
しまった「斗南へ行った人々の苦悩と奮戦」がよく描かれて
いて面白かったです。

ドラマで、斗南藩広東米事件を「藩命ではない」と切り捨てた
シーンを見て「山川浩、ヒドイ」と思った方にはぜひ読んでほしい
本です。

こちらの本に、梶原平馬さんのその後も載っていました。
平馬さんも、会津の責任をちゃんと取った人なのに、歴史上
から名前が消えて「愛人と逃げて行方不明」という嘘の情報
が巷に流れていた人だと知りました。ドラマでは妙な消え方
にされてたのが残念です・・・

ものすごい余談ですが、藤本ひとみさんの「幕末銃姫伝」では、
山川大蔵さんが八重さんにとっての「白馬の王子様」で、
少女漫画趣味満載でキラキラリ~ンという感じで描かれてます。
尚之助さんが、ちょっとヘンな人になってますよ(笑)

たくさんの資料を見て執筆されてますが、こちらは今回の
大河よりもっとずっとフィクションになってます。

いろいろと、お話させていただいて楽しかったです。
お付き合いいただき、ありがとうございまいした。


たびねずみさん こんばんは

再度のお越しそしてコメント有難うございます。

確かにこのような形式ではお互い意思の疎通は中々難しいところですね。
むしろTwitterなどの方が即意見の交換が出来て誤解が無いかも知れません。


又色々ご意見を頂戴しましたが、八重の桜カテだけでも読んで頂いていたら私のstanceなど判って頂けたかななどと思っています。
幕末銃姫伝は山川家の兄弟に次いで最初に読み続編の維新銃姫伝も読んでいてこのブログでも感想を書いています。
大蔵の八重へ恋話はこれをヒントにした?と疑っていますし、ストーリーテラーと言う点では藤本ひとみさんに脚本を依頼すれば良かったのになんて思ったりして^^

竹内力雄さんは同志社の方ですね。
米買い付け事件については私は当事者であった柴家の記録を尊重したいです。
星亮一さんは歴史捏造などの噂も流れていますがご紹介の本を含めて6冊読んだでしょうか。
史料として会津戊辰戦史と京都守護職始末、七年史など、他中村彰彦さん、司馬遼太郎さん、秋山香乃さん早乙女貢さんなど手当たり次第の俄か勉強でした。

ほんの近い過去なのに残された記録から真実を見つけるのは難しいですね。
だから楽しいのかも知れませんが。

色々とご教示有難うございました。

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