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紙碑・東京の中の会津~2 & 次のお仕事は?

前回山川家ゆかりの観蔵院から入ってしまいましたが、この書の順序は会津藩邸の案内から始まっています。当然ですよね。

しかし幕府の中枢にいた会津藩ですから当然江戸城のすぐ傍に藩邸があり今は影もありません。

上屋敷
江戸時代、和田倉門内の江戸城西の丸下の一万坪近い広大な敷地内にありました。
和田倉門は桜田門、馬場先門とともに老中・若年寄りなどの幕府閣僚の官邸街とも言うべき西丸下の要路部であり会津藩士が番士として武器を備えて詰めていたと解説されています。
又辰ノ口方面への要路であり辰ノ口には評定所、勅使の迎賓館に当たる伝奏屋敷があり「辰ノ口」と言えば評定所の代名詞であったとも。
「辰ノ口」と言う言葉、時代劇に良く出て来ますね。

幕府崩壊後は新政府によって没収され様々に姿を変え、会津藩邸は軍務官、御用邸などに変わりましたが明治二十二年西丸下一帯を広場とし現在の皇居前広場となった、と書かれています。

現在残っているのは復元された和田倉橋と和田倉門跡に残る石垣だけで当時の建物を偲ぶよしもありません。

中屋敷
藩政の場だった上屋敷に対して中屋敷は江戸詰藩士とその子弟の教育の場だったとかで日新館の分校のような学問所が置かれていたそうです。
現在は広大な汐留貨物駅になっています。
偲ぼうにも汐留駅では風情も何もありませんね。

下屋敷
藩主や家族、家臣達の私生活の場であった下屋敷は三田にありました。
現在は慶應女子高校と中等部の校舎と校庭になっているそうです。
当時の面影はなくても皇居前広場や貨物駅よりましなような気がします。
この書にも一番当時の屋敷町の面影が残っていると書かれています。

麻生三ノ橋
会津藩松平肥後守の下屋敷が近くにあった為明治まで肥後殿橋と呼ばれていたそうです。

斗南藩邸跡地
斗南藩庁の置かれた場所はなんと日比谷公園内でした。
現在の大音楽堂のあたり、池のある少し南のところと言われています。
何度と無く通った場所です。
今は何も残っていなくてもその当時大蔵さん達が藩運営などに苦闘した場所を偲んで近いうちに寄ってみようと思っています。

思案橋事件跡
永岡久茂や竹村俊秀らが長州の前原一誠に呼応して決起、千葉県庁や佐倉鎮台を襲い会津に立てこもる計画で東堀留川にかかっていた思案橋から舟に乗る所を密告する者があって捕らえられた所です。
今は川そのものが埋め立てられて面影は全くありません。
現在の日清製粉ビルのあたりだそうです。

此処に紹介したのはドラマに登場したほんの一部だけです。
藩祖保科正之関係など幕末だけでなく会津藩ゆかりの場所が詳しく紹介されています。
会津藩に興味のお有りの方には発行年は古いですがお勧めしたい本と思います。

ドラマ八重の桜もあと数回で終わってしまいます。
期待した分失望も大きく文句が多かったですが私にとって不本意な書かれ方でも、少しの出番でも玉山さんにしょっちゅう会えていただけに終わってしまうのは本当に淋しいです。

そこで気になるのが次のお仕事です。
ずーっと噂されている例の映画ですがどうなんでしょう。
タイで撮影しているとか・・・
タイで撮られた玉山さんの写真が出て来たり、陽だまりの彼女の舞台挨拶の時の顎のお髭など見ると本当かなとも思いますが。
だってこのお髭普通じゃないわ・・・趣味でと言われるとそれまでだけれど。
しかしアニメの実写版て見る人沢山いるのかしら・・・私は見ますけれどね、何回でも(笑)
本当かどうかも判らないのに心配しても始まりませんね^^

何でも良いからお仕事の情報欲しいです。

9a

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