« 黒田官兵衛 第7回 決断の時 | トップページ | 今何してるの? »

会津藩兵の洋式訓練

前回浩さんの軍装について思った事を書いて見ました。
書きながら思った事ですが会津藩が軍備を洋式に改め訓練を始めたのは鳥羽伏見の戦いの後ですね。
以前から銃の購入など装備に力を入れ始めてはいたようですが、洋式の訓練は鳥羽伏見で敗れ大阪から引き揚げた時まだ日本に滞在していたフランスから派遣された幕府軍事顧問団に習ったようです。

八重の桜では「第22回 弟の仇」で扱っています。
川崎尚之助が訓練の指揮を執り大蔵と頼母が傍で見ているシーンでした。

「ねずさんのひとりごと」と言う有名な人気ブログがあります。
この「ねずさん」は大変博識な方で色々興味深い記事を載せていらっしゃいますが山川大蔵について「滅んでも勝つ・・・山川大蔵」と題して書かれています。
大蔵の生涯がよくまとめられていますが其の中に大蔵の事をこのような例をひいて説明されています。

一寸失礼して一部引用させて頂きます。
『よく会津戦争や白虎隊を扱ったドラマなどで、なみいる中高年の会津武士たちを前に、若い役席者らしき者が、声を大にして、またあちこち必死に走り回って、平和ボケした藩士たちに洋式訓練の優位性を実演してみせているシーンがあったりします。その若い役席者が、大蔵です』

八重の桜を「歴史ドラマ」と思って見ている方達はこれから他のドラマでこういった場面を見た時その役席者を川崎尚之助と思うんじゃないかしらん。

たかがドラマだからどうでも良いじゃないかとも言われそうですが私はいやですね。
あれは大蔵さんのやった事です。
良く事績の残っていない尚之助を飾るため何らかのエピを創るのは結構ですが大蔵さんのやった事を持ってくるのはどう考えても作者の怠慢です。

京都守護職始末執筆のきっかけが川崎尚之助にあるとして架空の「会津戦記」を創ってしまった事に比べればまだましかも知れませんがそれでも作者の定見の無さにには恐れ入ってしまいます。

ドラマが終わってもまだ文句を言っている私も大概ですけれど(笑)

しかし「日本のドラマ(時代もの)はヒストリー・中国はイデオロギー・韓国はファンタジー」と言う言葉があるように本当の事だと思って見る方の多い事も事実ですからやはり心して頂きたいものと思います。

そう言えば当時の会津の軍制を紹介した記事の中に川崎尚之助の名を見つけました。
町人・農民たちの応募の中から選ばれ敢死隊の隊長小原信之助が戦死した後の隊長として川崎尚之助の名がありました。砲兵隊では無かったんですね。

話は会津から離れますがこのフランスの軍事顧問団は幕府と新政府軍の内戦に介入を避けた本国の意向で引き上げますが、一部の士官や下士官達は脱走して幕府軍に加わり函館まで転戦しています。
何が彼らをそうさせたのかとても興味深いので当時の事など一寸づつ読み始めています。

O26a

« 黒田官兵衛 第7回 決断の時 | トップページ | 今何してるの? »

八重の桜」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 黒田官兵衛 第7回 決断の時 | トップページ | 今何してるの? »