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浩さんの軍服

八重の桜が終わってもう1ヵ月以上立ちますがまだまだ忘れられない山川浩さん。
景虎さんと同じように多分これからも沢山登場する事になると思います。

今気になっているのは・・・今に限ってではなく・・ドラマ放映中からですけれど、浩さんの洋式軍装についてです。

陸軍に入ってからは写真も残っているし勿論陸軍の軍服ですからはっきりしているのですが、戊辰戦争の時の軍服が良く判らない。

ドラマでは襟とカフスが赤の青の上下でしたね。
ドラマの「紀行」で紹介された「絵」によると黒の上下に陣羽織と言う格好でした。

洋式化された会津藩兵はフランス式で黒ラシャのフロック型の軍服だったそうですから「紀行」の絵のとおりだったのでしょうか。

しかし浩さんが戦いの場に姿を見せるのは鳥羽伏見の戦いの時ですから会津藩がフランス式を取り入れる以前です。

この時の事は会津戊辰戦争に1月6日開戦4日目の事として「藩相内藤介右衛門、表用人山川大蔵大阪表より枚方に来る。林、白井両隊の残兵を合し大蔵其の頭を命ぜられる」とあり軍事指揮を始めて取った事が記載されていますが服装については説明無し。

この時の服装について中村彰彦さんが著書「山川家の兄弟」で広沢安宅(安任の甥)の「幕末会津志士伝」から「洋服を着け洋鞍に跨り」と引用されています。
そしておそらくロシア風あるいは幕府の軍事顧問団を派遣していたフランス陸軍の軍装、そして乗馬に便利な皮長靴だったのではないか、と。

ところが先日中村彰彦さんの「跡を濁さず 家老列伝」の中の「入城戦再び 男爵山川浩」の項に戊辰戦争時の浩さんの軍装について「青い上着、赤のズボンのロシア騎兵の軍服と」書かれているのを読みました。

「山川家の兄弟」は2000年出版(原題逆風に生きる)「入城戦再び」は2008年初出ですから新しい資料でもあったのでしょうか。

どんな軍服で戦われたのか・・・コサック騎兵の将校の服装にドラマと良く似たものがありましたがそれを参考にしたのか。
山川家のご子孫にNHKが尋ねれば判った事ではないかと思いますが、あんな扱いをする積もりだったら聞く訳には行かなかったでしょうし。

一寸資料の当たり用の無い私にはもうわかりません。
どうせ判らない事だったらフランス式の方が格好良くて良かったわ。

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