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2019年1月

いだてん 第4回

第4回 小便小僧

昭和、志ん生の語りからスタートですが舞台は明治43年へ。
東京高等師範でマラソン大会が開催される事になり四三も出場。
そこへ三島弥彦が自動車で乗り付け校長室で嘉納治五郎に会っています。
四三は出発前に尿意を催し三島の車の陰で立小便・・・第1回でそんなシーンがありましたっけ・・・
おかげで出遅れてしまいます。
途中で履いた草鞋が破れ裸足で走ります。
そこで足袋屋の播磨屋と足の速い車夫清のシーンが入ります。
ここでタイトル!
出遅れた四三は追い上げて3位に入賞。
喜んで熊本の実家に手紙で書き送ります。四三は自転車に乗ったスヤと走る夢を見ています・・・
実家から届いた母の返信は兄実次の代筆で、勉強する為に上京させたのにかけっこなんぞさせる為では無いと言う内容でした。
四三とともに上京した美川君は舎監の永井ににらまれ散々な目に遭っています。
それでも四三はマラソンに勝つ事を考えます。
その方法とは①出発前に排便する②草鞋対策③スタミナ対策でした。
①は解決出来ますがあとの2つは中々難しいのでは・・・・
本科に進学した四三は徒歩部(マラソン部)に入部します。
スタミナをつける為に豚鍋を食べに行っています。
その豚鍋屋に金髪の美女を連れた大森兵蔵が登場します。
バゲットを注文したらバケツが登場と言うお笑いシーンがあります。
待ってました!竹之内豊さん登場です。妻の安仁子はシャーロットさん!

舞台は又昭和35年の志ん生の家へ。
ローマオリンピックで裸足で走るアベベを見ながら志ん生はお酒を飲んでいます。
五りんの彼女の知恵の話しでは五りんの亡くなった母は播磨屋に勤めていたような・・・

又明治へ
四三は播磨屋へ足袋を買いに。
小僧さんがサイズを計るシーンも。
明治44年嘉納はオリンピック出場選手選抜の大運動会開催を計画します。
100m、200m、400m、そしてマラソンです。当時は40㎞ 10里
永井はそんな長距離を走ったら死人が出るのでは、と反対の意向です。
四三はスタミナ対策に当時流行していた脂抜き走法を取り入れる事にします。
体を軽くする為に徹底的に水分を取らないと言う無茶なもの。
大森と安仁子は東京高等師範に赴任して来ます。
アメリカで学んで来た彼の指導で400mトラック造りが始まります。
労働者の中に弁髪の人夫の姿も。日清、日露戦争後大陸との交流が増えたと言う事を書きたい?芸が細かいですね。
オリンピック開催には莫大な費用がかかりますが弥彦の兄で銀行家な弥太郎に融資を断られ、嘉納の私金と借金でやりくりしている様子です。
弥彦は短距離選手にスカウトしたい嘉納に、もう卒業なのでスポーツはやめて社会人になるなどと言っています。
水分を抜いてトレーニングに励んだ四三はふらふらになりついに諦めます。
走りたかったら走る! 食べたかったら食べる!自然に従え!
と覚るのでした。

相変わらず明治、昭和と舞台が変わり、登場人物たちを語るのもあちこちと飛んでややこしい。
まあ見ている分にはわかりますし結構面白くなって来てもいるのですが、こうして後から感想を書こうと思うと、まあ難しい事!
三島さんのお家の事などまとめて言ってよ!と言いたいくらいです。
大森さんの事でもこの回だけでは説明不足では、と思いますが追々きちんと書いて下さるのでしょうね。
嘉納治五郎と日本体育協会やIOCを設立した人として記憶しているくらいなので楽しみにしています。

トップの責任・・・稀勢の里と宇野選手

今夜、1月27日の夜7時のNHKニュースはTOPが嵐の解散、以下大坂なおみ選手の全豪オープン優勝、そして大相撲千秋楽の順でした。

いつも土日は公の発表newsが無いのでこんなものですけれど、それにしても日本は平和ですね。
大坂選手全豪オープン優勝おめでとうございます。
日本女子選手として初のグランドスラムを制し初のランキング1位に輝きました。
父君はジャマイカで2重国籍ですが日本を選択して下さって本当に嬉しいです。
interviewなどを聞いても日本の心そのまま、可愛らしい21才のお嬢さんでした。
テニスのランキングはポイント制、大会の成績ごとに上下します。
どうぞ怪我に気をつけて長く活躍される事を祈っています。

今日千秋楽を迎えた大相撲、関脇の玉鷲が13勝2敗で優勝。
初優勝ですね。おめでとうございます。
大相撲は父や祖父が大好きでしたし夫も家にいれば見ていますので、ある程度の関心はあります。
最近モンゴル出身の力士の活躍が目立って「国技」と言われるのに少し寂しく思う事もありました。
なので稀勢の里が横綱に昇進した時はとても嬉しかったものです。
綺麗で品の良いところも大好きでした。
怪我に泣き、出場強行して寿命を短くしてしまってとうとう引退に追い込まれてしまった事はとても残念でした。
最初の時に前例があるのだから何故思い切って1年くらい休んで治療に専念しないのか、と周りもどうして勧めないのかと一寸疑問に思って見ていました。
それが引退後に強行出場は横綱の意思だったと言う事を知りました。
詳しい事は知りませんが「横綱」としての責任感から休む事を潔しとしなかったのでしょう。
引退の時に聞いた言葉今後「親方として怪我に強い人を育てます」に胸をうたれました。
責任感に強く、逆境を耐えた彼はきっと良い指導者になる、と信じています。

トップの責任感。
それは12月のフィギュアスケート全日本選手権での宇野選手そのままかな。
2連覇中の宇野さんはショートの公開練習中に足首を捻挫、ショーとは痛みに耐えて出場したがそのあと痛みで歩けなかったと言います。
ショートが終わって中一日あり病院でMRIを撮り医師に「痛いだけであとに響く事(選手生命にかかわる事)は無いと言われ出場を決め、2位に約50点の大差で優勝しました。
しかし歩く事も出来なかったほどの痛みにコーチは棄権を勧めたと言います。
でも彼は出場を決めるのです。そのコーチへの返事は震える程感動的でした。
何故そこまで出場にこだわるのかと言われ「これが自分の生き方。僕は大きい試合、小さい試合どの試合にも出たい。地面を歩けるなら試合に出たい。プライドですかね」・・・意訳してます・・・
(棄権をしても彼はスケート連盟の規約にある「特例」で世界選手権に出場は出来るのです。現に3回目の特例で出場が決まっている選手もいますから。)
でも彼は痛みに耐えて出場し、見事に優勝しました。
彼が棄権をしていたら・・・ランキングトップの二人が不在の「日本選手権」になる所でしたね。
スケート連盟としても一番大事な大会です。
まさにトップの責任を果たしたと言えるのでは・・・・
日本スケート連盟は彼の決断の重みを認識しているでしょうか。
美談としてとらえる気はありません。
彼はきちんと医師の診断を受け、選手生命に関わる事は無い、との診断を受けて出場を決めています。
でもどんなに痛かったか、手当をしているバックヤードの様子が少し写りましたが、足首は真っ赤に腫れていました。
痛みに弱く怖がりの私はその様子を見ただけで震えてしまったくらい。
凄まじい精神力に只ただ頭が下がります。
私は「王者」とか「女王」とか簡単に使う事が好きではありませんが本当に「王者」と言うに相応しかったです。

でも応援している身としてはもうこんな事はしてほしくないと思うのが本音です。
どうぞ怪我に気を付けて長く活躍して下さる事を願っています。
そうそう宇野さんも世界ランキング1位です。
テニスとは競技人口も違うでしょうが、同じくポイント制で大会の成績ごとに順位は変わります。

いだてん 第3回

第3回 冒険世界
昭和35年オリンピック選手団の結団式のテレビ中継を見る志ん生。
家族に無断で弟子に取った五りんの登場からドラマはスタート。
話は明治42年の熊本へ。
兵学校の入試に落ちた四三が実家の畑を手伝っているところへ。
長兄の励ましで嘉納治五郎が校長を務める東京高等師範を受験する事になります。
成績の良い弟を学校へ入れてやりたい兄の愛情が見ていても気持ち良いですね。
獅童さん、流石です。
この場面実次の獅童さんのお陰でとても良い場面でした。
その頃嘉納は正式にオリンピック参加を決めています。
明治43年春合格した四三は学友の美川とともに村総出の見送りを受けて上京します。
ここでタイトル、本編へ

二人が羽織っている赤い毛布・・・赤ゲットとよばれて当時お上り」さんの代名詞になっていたそうですがまさか本当に使うとは(笑)
汽車の中で美川が拾った雑誌「冒険世界」から三島弥彦を中心とするスポーツ愛好団体天狗倶楽部の紹介へ。
やっと着いた東京ですが寄宿舎に行く前に浅草に寄り道し財布を掏られて大騒ぎ。
到着した御茶ノ水の寄宿舎には規則に厳しい舎監の永井がいて冒険世界を持っていただけで肋木にぶら下がる体罰を受けるなと最初から騒がしい展開でした。
寄宿舎から学校まで走って通う様子など学校生活は四三の熊本への手紙の形式で語られます。

そして夏休み、帰省した四三はスヤに会います。
スヤと楽しく語る四三ですが、スヤが来春卒業したら見合いをする事わ家族から知らされるのです。淡い恋のような雰囲気でしたが当時としては身分違いですからこんな感じでしょうか。
でも東京へ帰る四三の乗った汽車を自転車で追いかけるスヤの姿にこれきりではない事が暗示されているのでしょう。

東京に戻った四三と美川ですが、又浅草に寄り道をした美川は娼婦の小梅に誘惑されてしまいます。
四三は浅草で自動車に乗った弥彦が撃った銃声を合図に走り回る天狗倶楽部の一団に出会います。
足の速い車夫の清から走りたいから走るのだなどと説明を受けます。
四三とマラソンの出会いでした。
圓喬の寄席に孝蔵の姿があったりとか、本筋がいくつにも枝分かれしているような感覚だったり、昭和35年と明治末が入り混じったり、まだ私には「取り散らかった」感じが大きいです。
ストレートに1部・2部で描いてくれた方が良かったのに、とまだ思っています。


後に短距離の選手になる三島弥彦の存在がかなり大きいですね。
有名な徳富蘆花の不如帰は三島家がモデルになったそうでこのドラマにも描かれていました。
千駄ヶ谷に7千坪の敷地を持った豪邸に住んでいたり自動車に乗っていたりとかなりの資産家です。
この弥彦の父三島通庸は薩摩の下級藩士の出で大久保利通の一派ですね。
山縣県令、福島県令、警視総監など歴任した人ですが私には福島県令の時の容赦のない酷い政治の記憶があって余り好意の持てない人です。
ドラマではもう亡くなっているのでしょうか、登場しないようですね。

Men's JOKER 休刊

Men's JOKER ご存じのとおり男性向けの月間ファッション誌です。

休刊をnetで知りました。
創刊は2005年4月号との事。今年の3月号を最後に休刊との事ですから、15年間続いた事になりますね。

この雑誌と玉山さんのご縁は深くて年1回は必ず表紙を飾り、2回の年も何年かありました。
targetが20代~30代とありますから玉山さんの年令に合わせて創られたような(^^♪
最初がいつだったか遅れて来たファンの私は知りませんが、玉山さんのファンとなって「何でも知りたい」から用もないこの雑誌、彼が表紙を飾る時は必ず買って来ました。
始めて買ったのはいつだったでしょうか。最初はファッション誌に出ている事も知らなくて「知った」時からは少し遅れています。
始めて買ったのは2010年です。
この時は行きつけの書店では恥ずかしくてnetで買いました(笑)すぐ慣れてしまいましたけれど。

そして最後は去年の7月号です。
買い続けたのは9年間ですが、backnumberも手に入る号は買って手元にある一番古いのは2005年3月号です。
多分創刊された2004年には表紙を飾っているはずですが、残念持ってはいません。
毎年のお楽しみになっていたので休刊(廃刊とは言っていないですね)は残念ですがWEB記事の方は残るようですからそちらでお目にかかれるかも知れませんね。
でももうすぐ40代になる玉山さん・・・ご縁は無くなってしまうかも。一寸寂しいですが。

この雑誌だけに関わらず最近紙の媒体の売れ行きは先行きの見通しが暗いようですね。
若い世代にwebで読む事が主流になって来ているせいでしょうが、私のように紙媒体の好きな人間には寂しい事です。
頁をめくる時の感触、新刊の新しいインクの匂い・・・・
まあ暫くは数を減らしつつも出版は続けられる事を信じてはいますが。

2005年              いつの号でしょうか?どこかで頂いて来た画像です
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いだてん 第2回

第2回 「坊ちゃん」

前回はオリンピック予選会で金栗四三がトップでゴールインする場面で終わりました。
足の速い仏教の守護神「韋駄天」から嘉納治五郎が「韋駄天」と叫ぶ場面でした。
第2回は四三の生い立ちからです。


四三の生家は熊本でまだ西南戦争の戦火の跡の残る熊本場面から始まります。
生家は造り酒屋でしたが父の信彦が病弱だった為潰れています。
彼は7人兄弟の下から2番目、父が43才の時の子だったので四三と名付けられました。
以前は良くあった名付け方ですよね。私がすぐ思い浮かべたのは山本五十六元帥でした。
そして1年違いでこのドラマの語り手を勤める古今亭志ん生・・本名美濃部孝蔵が東京に産まれました。彼の生家は幕臣の家です。

四三は病弱でした。
その頃嘉納治五郎が熊本の第五高等中学校に赴任していたので父信彦は治五郎に抱いて貰えば元気になるかと思い立ち彼を連れて熊本まで出かけます。
第五高等中学と言えば「八重の桜」に登場した秋月悌次郎も教師をしていました。
小泉八雲に神の傍にいるようだと慕われた事も有名です。
話が逸れました。父子は熊本に40キロの道のりを歩いて出発。途中西南戦争の激戦地田原坂で休憩、戦争の話が出ます。
熊本に到着した二人は口ひげを生やした青年に出会いますがタイトルから想像すると夏目漱石でしょうか。
父子は治五郎に会う事が出来ず帰宅しますが、家族に父が「会った」と応えた事が四三には少し気になるのでした。

四三は小学校に入学しますが学校が遠く通学が大変です。そんな時長兄の実次に子供が産まれ、彼は出産の時の呼吸の様子を見聞きして走る時の呼吸法を学びます。
東京では孝蔵が小学校の時から飲む、打つ、買うの大変な不良少年になっていました。
父の煙管を質入れして父と巡査に追いかけられたり、少しあとの話になりますが吉原へ出入りして大変な目に遭ったり、と。

熊本では信彦が地を吐いて倒れ、四三は医者を呼びに行きます。帰途提灯を持って娘のヤスが追って来ます。後に彼の妻となるんですね。
家では兄の実次が父に四三は成績が良いので上の学校に行かせてくれと頼んでいます。
ヤスを背負って帰宅した四三は父の死に目に会えませんでした。
そして父の分まで走れと言われます。
走ってトンネルを抜けた先は中学、彼は中学校へ進学します。
寄宿舎から家に帰るには20Kを走って帰る、時代です。
彼も兵学校を目指そうと令水浴など体を鍛えるのですが兵学校は不合格でした。
学友の美川から東京高等師範学校を受験する事を知らされ、嘉納治五郎の名を聞くのでした。治五郎の名が彼の運命を決めるのでしょうか。

一方孝蔵も吉原で騒ぎを起こし寄席へ逃げ込み橘屋圓喬の噺を聞いて惚れこんで弟子になりたい、と思います。
二人の行く末が決まった回だったのでしょうか・・・
相変わらず話の動きが目まぐるしくついて行くのが大変には変わりません。
東京へ行って登場人物が増えて又暫くは覚えるのが大変かも知れません。
次回までにもし暇があったら第1回に登場した人物も含めて一覧表でも作ってみようかななんて思っていますが、出来るかどうかアブナイものです。

いだてん 第1回

第1回 夜明け前   *追記あり

前年の西郷どんに失望しかなく今期のドラマに期待を掛けて待っていました。
放送当日は来客があり落ち着いて見られずもう一度、と思いつつ見直す機会がなく、大雑把な感想です。申し訳訳ありません。

オープニングには語り手を勤める古今亭志ん生が登場。
1964年の東京オリンピックの招致運動からスタート。
後半の主役田畑政治役の阿部サダヲさん登場。
ミュンヘンでの次期開催地選出についてのオリンピック委員会の様子。
そこで平松和重の演説からオリンピックの父?嘉納治五郎の話が」出ます。
柔道で有名ですが教育家としても優秀な方だった事が紹介。
東京オリンピックの決定のニュースから、タイトルへ。

嘉納にフランス大使から欧州主体のオリンピックにアジアから是非と参加が要請されます。
小学校4年生が教科書を読み上げるシーンが挿入されます。
「同じ規則・・・同じ条件のもとに競う云々」
このあたりからかなり話の進み方が早く、様々なepisodeが入り乱れて中々ついて行くのが大変。
背景に当時の政財界や高等教育の様子などが駆け足で・・・としか思えない・・・紹介されます。
間に志ん生の若い頃の美濃部孝蔵も登場。

嘉納はオリンピック招致を承諾、彼は日本初のIOC委員に就任。
嘉納の奔走で京浜電鉄の所有地に陸上競技場が建設されそこでマラソンの選手選考会が開催され次々と参加選手がリタイアする中前編の主人公金栗四三が新記録でゴールする所で終わり。
第1回くらい詳しく書こうと思いましたがとても無理でした。
進行が早く情報が多すぎ。
大勢の登場人物の紹介なども駆け足の感じで。

以下追記です【内。
【登場人物を手際よく紹介したつくりにしたかったのだと思いますが、これがすごくわかりにくいです。
手際が良い所か次から次へと紹介される人物が頭に入って来ません。見ていればわかると思っているのならこんな風なやり方は必要だったのかな】

かなり取り散らかった感が強く感じられてこれはどうもと言うのが第1回の感想です。
面白くなりそうな気もしますが、どれだけ受けるか・・・大河ドラマ初回から見ている母は早くも脱落したそうです。
私・・・・もう少し様子を見て行くつもりでいます。

明けましておめでとうございます!

                     
                      頌春 
                Plza52
旧年中はこのblogにお越しいただき有難うございました。
今年も玉山さんの話題を中心に続けて行きたいと思っています。 
新年を迎えましたが、新しいお仕事の話は残念ながら聞こえて来ませんね。
良いお話が進行中だと嬉しいのですが。
玉山さんに嵌ってかれこれ10年になります。
それまで知らなかった彼の足跡を訪ねて旧い作品を探して色々見ました。
そして感想を上げたものもありほんの少ししか触れていないお仕事もありました。
今年はもう一度初心に帰って玉山さんの過去の作品を訪ねる旅(?)に出ようかな・・・と思っています。

実は去年見つけた素敵な「人」宇野昌磨君の約15~6年にわたる活躍のあとを辿る過去への旅が思いのほか楽しくて、それから玉山さんの過去のお仕事ももう一度振り返ってみたくなったような訳なんです。
(宇野さんについても又時々書かせていただきたいと思っています。)
新作の感想がメインですが そのような話にもお付き合い頂ければ幸いです。

玉山さんの健康と良いお仕事に巡り合う事を祈って!
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
以前少ししかふれていなかったブラザービートの達也君
     Ba_3
 

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