手紙
数日前TV東京でスペシャルドラマとして「手紙」が放送されました。
ドラマを見た家族の感想は・・・
主人公の職業はじめ設定は原作とかなり変わっていたそうですが、それでも最近ではまあ良いドラマでは無かったかな、と言う感想でした。
3人とも20代前半?若いのに凄かったです。
数日前TV東京でスペシャルドラマとして「手紙」が放送されました。
先日CATVで星守る犬の映画が放送されました。
最近ここでも触れましたが、私は紙の媒体の読書が好きです。紙の手触り、新刊のインクの匂い・・・幼い頃から親しんだ懐かしささえあります。
犯罪症候群season1が先週終わりました。
原作は貫井徳郎さんの症候群seriesから。
何度も書いた事でもあり今迄このblogをご覧になった方には鬱陶しいかも知れませんが以下おさらいします。
警視庁人事2課の環が指揮して事情があって退職した警官が表だって扱う事の出来ない事件を裏から捜査すると言う作品でした。
原作は失踪症候群、誘拐症候群、殺人症候群の3部作、連作ですが事件はそれぞれ独立した話です。ただし捜査する環と元警官3人は各話を通して登場します。
ドラマでは元警官は一人だけ、誘拐症候群にメインで登場する武藤一人です。
武藤は元機動隊員、デモ鎮圧の時揉み合った相手に本気で殺意を抱き、その自分に潜む獣性に恐怖して退職、出家して托鉢僧として生きています。
その彼に関わった事件の捜査方針に疑問を持ち、一線から外された原田(妻と高校生反抗期の娘がいます)と、未成年者に妻と幼い娘を殺され本気で犯人を殺そうとして退職せざるを得なくなった倉持の二人のキャラを合わせてドラマに武藤として登場させています。
鏑木はこの2作には登場しませんし武藤とは何の関係もありません。
殺人症候群で警視庁捜査一課の巡査部長鏑木として登場。
一方犯罪被害者の会の矢吹響子の協力者として、心神喪失や未成年の為、殺人を犯しながら罪を償っていない犯人を殺す渉として書かれています。
小説では警官の時は鏑木、そして響子の協力者の時は渉として姓と名を使い分けて登場。二人が同一人物だと言う設定はこの小説の最大の山場であり魅力になっています。
このblogでもでこの鏑木の裏の顔に触れていて驚いた事を書きましたが(「犯罪症候season2 新キャスト」)、更に最終話ではなんと予告に鏑木の職業殺人者とししての顔を堂々と出していてなお吃驚しました。
それまでは少々違和感はあってもかなり面白く見て来ていたのにここでネタバレさせてはこれまでの8話はseason2の前振り扱いになってしまうじゃないか、と思ったし又season2を見る上にかなり興が削がれてしまいました。
読者として、又ドラマの視聴者としても不満がいっぱいでしたが、原作者の貫井徳郎さんが
WOWOWへ最終話にこの予告を入れて来た事を抗議なさっている事を知りました。
作者が仰っているようにこの仕掛けは作品のいわゆる肝であり、この三部作で一番高い評価をされている所でもあるのでこの抗議は当然の事と思います。
更に映像化では難しいこのトリックの取り扱いについては何度もスタッフと打ち合わせをして真相を明かすタイミング迄決めておかれたとの事でなお驚きでした。
視聴者としても有料放送だから出来る作品と、今迄WOWOWの作品に置いていた信頼を一度に裏切られたような気分でした。
鏑木をseason1から登場させる為に無理に武藤に絡めた脚本にも無理があったし、一番大事な事を大切にせず何が言いたくてこの作品を映像化したのでしょうか。
面白い小説は大事に映像化してもらいたいと心から思いました。
只、貫井さんも俳優の演技は賞賛して下さっていて玉山さんファンとしては嬉しい限りですが。
「出演者の皆さんの熱演は賞賛に値するものだと思う。このドラマを面白いと言ってくださる人が多いのはその熱演の賜物だ。」
http://tokuro-nukui.hateblo.jp/
でもこの予告でseason2への視聴への期待が下がったのは事実でそれはとても残念です。
試写会発表の記事にもいつも程乗れなくて・・・
まあ言いたい事を書いてしまったので、きっと文句は言うでしょうがちゃんと見ると思いますし、season2放送前の特番も取り上げてしまうかも・・・
先日ずっと逢いたかったについてコメントを頂くまでこのドラマに原作がある事を知りませんでした。
一応見てみるかなと録画予約入れましたが、ウクライナ版も全話録画してあるので比べてさあどうでしょうか・・・
ドラマ八重の桜は終わってしまいましたが舞台になった当時の会津や山川大蔵さんを忘れ難く、それに放送中はざっと読んだだけの本もあるので又読み返したりしています。
悪い癖で興味を惹かれた本は又何度も読みたくなって折角図書館で借りても結局買ってしまう為会津関係の本はかなりの冊数になってしまいました^^
今日又読んだのは如月弘鷹さんの「死にたがりの獅子」何とコミックです^^
主人公は勿論山川大蔵さん。
鳥羽伏見の戦いから日光口、篭城戦、そして西南戦争まで、途中斗南藩のいきさつは1頁だけで簡単に紹介されただけ、戦い続けた大蔵さんを取り上げています。
全4話、一冊の分量なので大蔵さんの一生のダイジェストになっているのは一寸勿体無いかな・・・
しかし冒頭少年時代容保に忠誠を誓うきっかけとなるエピソードを入れ、新撰組の斉藤一との友情、土佐の谷干城との交友、などドラマで見事にスルーされてしまった「良い場面」もしっかり描かれています。
勿論彼岸獅子入城のくだりでは容保さんもちゃんと登場していますよ。
知恵の山川と呼ばれ敗戦後は会津のトップに立った智将の面影は一寸薄いかな。
格好良く勇ましい「お兄ちゃん」のようです^^
でもひたすら会津の為に生きたまっすぐな大蔵さんが生き生きと描かれとっても魅力的です。
作者が主人公の大蔵さんが好きで愛情を持って描かれている事が伝わって来て素敵な作品になっていると思いました。
ドラマ八重の桜の大蔵さんは作者の悪意さえ感じられたくらい一寸ひどい扱いだったので余計そう感じたのかもしれません。
厖大な資料を読んだ中で一寸ほっとした作品でした。
やんちゃな大蔵さんとかなりのハンサムに描かれた谷干城、そして情け無い大鳥圭介など画も楽しめました。
殿・大蔵さん・ 谷干城
前回山川家ゆかりの観蔵院から入ってしまいましたが、この書の順序は会津藩邸の案内から始まっています。当然ですよね。
しかし幕府の中枢にいた会津藩ですから当然江戸城のすぐ傍に藩邸があり今は影もありません。
上屋敷
江戸時代、和田倉門内の江戸城西の丸下の一万坪近い広大な敷地内にありました。
和田倉門は桜田門、馬場先門とともに老中・若年寄りなどの幕府閣僚の官邸街とも言うべき西丸下の要路部であり会津藩士が番士として武器を備えて詰めていたと解説されています。
又辰ノ口方面への要路であり辰ノ口には評定所、勅使の迎賓館に当たる伝奏屋敷があり「辰ノ口」と言えば評定所の代名詞であったとも。
「辰ノ口」と言う言葉、時代劇に良く出て来ますね。
幕府崩壊後は新政府によって没収され様々に姿を変え、会津藩邸は軍務官、御用邸などに変わりましたが明治二十二年西丸下一帯を広場とし現在の皇居前広場となった、と書かれています。
現在残っているのは復元された和田倉橋と和田倉門跡に残る石垣だけで当時の建物を偲ぶよしもありません。
中屋敷
藩政の場だった上屋敷に対して中屋敷は江戸詰藩士とその子弟の教育の場だったとかで日新館の分校のような学問所が置かれていたそうです。
現在は広大な汐留貨物駅になっています。
偲ぼうにも汐留駅では風情も何もありませんね。
下屋敷
藩主や家族、家臣達の私生活の場であった下屋敷は三田にありました。
現在は慶應女子高校と中等部の校舎と校庭になっているそうです。
当時の面影はなくても皇居前広場や貨物駅よりましなような気がします。
この書にも一番当時の屋敷町の面影が残っていると書かれています。
麻生三ノ橋
会津藩松平肥後守の下屋敷が近くにあった為明治まで肥後殿橋と呼ばれていたそうです。
斗南藩邸跡地
斗南藩庁の置かれた場所はなんと日比谷公園内でした。
現在の大音楽堂のあたり、池のある少し南のところと言われています。
何度と無く通った場所です。
今は何も残っていなくてもその当時大蔵さん達が藩運営などに苦闘した場所を偲んで近いうちに寄ってみようと思っています。
思案橋事件跡
永岡久茂や竹村俊秀らが長州の前原一誠に呼応して決起、千葉県庁や佐倉鎮台を襲い会津に立てこもる計画で東堀留川にかかっていた思案橋から舟に乗る所を密告する者があって捕らえられた所です。
今は川そのものが埋め立てられて面影は全くありません。
現在の日清製粉ビルのあたりだそうです。
此処に紹介したのはドラマに登場したほんの一部だけです。
藩祖保科正之関係など幕末だけでなく会津藩ゆかりの場所が詳しく紹介されています。
会津藩に興味のお有りの方には発行年は古いですがお勧めしたい本と思います。
ドラマ八重の桜もあと数回で終わってしまいます。
期待した分失望も大きく文句が多かったですが私にとって不本意な書かれ方でも、少しの出番でも玉山さんにしょっちゅう会えていただけに終わってしまうのは本当に淋しいです。
そこで気になるのが次のお仕事です。
ずーっと噂されている例の映画ですがどうなんでしょう。
タイで撮影しているとか・・・
タイで撮られた玉山さんの写真が出て来たり、陽だまりの彼女の舞台挨拶の時の顎のお髭など見ると本当かなとも思いますが。
だってこのお髭普通じゃないわ・・・趣味でと言われるとそれまでだけれど。
しかしアニメの実写版て見る人沢山いるのかしら・・・私は見ますけれどね、何回でも(笑)
本当かどうかも判らないのに心配しても始まりませんね^^
何でも良いからお仕事の情報欲しいです。
第46話 駆け落ち
この回の感想・・・どう書いたらよいかしらね・・・
先週に続いて山本家のお話です。
八重も襄も話の筋に絡まないほんの申し訳程度の登場で(出番の多少ではなく)
みねは長男平馬を出産しますが直後容態が変わり息を引き取ります。
山本家の跡は久栄に良い婿をとって継がせると覚馬は言いますが。
時栄が出て行ってからふさぎがちの久栄は蘇峰の弟健次郎後の蘆花と心を通わせ会うようになります。
東京へ出て作家になると言う健次郎と駆け落ちをして一緒に行こうとする久栄ですが、八重の説得?で思いとどまり、健次郎は一人で上京し小説家の道を歩み出します。
先週の時栄の話と言い今回と言い誰も傷つかないように綺麗に終わらせています。
きれいごとにすぎて私には感動も無かったですね。
八重と襄は北海道を訪れ札幌にいるユキと20年振りに再会、ユキは旧薩摩藩士と結婚15才の息子の母となっていました。
以前も書きましたが城が落ちたあと、家族の遺体を必死で探し一人で葬った話は全く触れられていません。薩摩藩士と結婚するまでの話も。
このドラマは私にとってはですが、要らない話が多く、取り上げて欲しい話は全く書かれず残念な結果となってしまいました。
そういえばもう一人の健次郎さん、山川健次郎がほんの一寸出ましたが何の為でしょう・・・
蘆花の小説不如帰で妹捨松が傷ついた事を言いたい?それならストレートに書けば良いのに。
ストレス発散の為浩さん主役のお話を一寸。
会津将軍山川浩
「会津藩 斗南へ-誇り高き魂の軌跡」
「会津流罪 故郷を追われた難民からの再出発」
「偽りの明治維新-会津戊辰戦争の真実」
などなど多くの戊辰戦争と会津の話を書かれている星亮一氏の作です。
西軍の攻撃を防ぐ為日光口を守る所から始まって明治31年京都守護守護職始末の編纂半ばに亡くなるまでの半生を追っています。
小説なのかドキュメンタリーなのかはじめは一寸戸惑いながら読みましたが事実に少々味付けした小説なんでしょうね。
失礼とは思いますが星氏はドキュメンタリーの方が読みやすくて小説仕立てはあまりお得意では無いように思いました。
でも浩の半生を克明に追って書かれているので読み応えはありました。
一番興味を引かれたのはこの本の表紙でした(ごめんなさい)
浩さんの写真を真ん中に上部に山川家の写真を載せた装丁になっています。
浩、健次郎の兄弟を中心にした二人の夫人と浩の長男洸、姉二葉、妹操、常盤、捨松など一族の写真で明治26年頃の撮影と注釈があるそうです。
操さんの写真にかぶって題字が書かれているのが少し残念ですが、山川家は美男美女揃いですね。
ドラマ八重の桜もあと数回を残すだけになりました。
玉山さんの出演、そしてキャスティングされた山川浩と言う素晴らしい人に期待するあまり不満ばかり言って来ました。
だって山川浩に関しては実際の方がずっと魅力的で素敵だしその半生もとてもドラマティックなんですもの。
山川浩と言う人が大河に登場する事はもう無いでしょうから本当に残念です。
只、戊辰戦争を会津の側から書いた事から会津藩に興味を持ち沢山の資料や小説を読みました。このドラマを見なければ知らなかった事もいっぱいありその点ではこのドラマに感謝です。
その沢山読んだ本の中の一冊がこの紙碑・東京の中の会津です。
牧野登著1980年 歴史調査研究所発行
会津藩と主に戊辰戦争に関わった会津人の東京での足跡を筆者が全部実際に確かめて紹介されている丁寧な案内書です。
ドラマを離れて会津藩に興味を持たれた方はお付き合い下さいませ。
3部構成になっていて第一部は都心編・・・会津藩の上屋敷など藩邸の跡地や青山墓地や神保修理や萱野権兵衛のお墓のある興禅寺など・・・
第二部は下町編・・・ここには山川浩が上京最初に仮住まいをした元浅草の観蔵院などが紹介されています。
第三部は山手編・・・広沢安任が亡くなった角筈や思案橋事件で処刑された竹村俊秀達のお墓のある源慶寺など・・・
今日はドラマの登場人物の関係した場所をいくつか取り上げて見ました。
まずは山川家の東京での最初の住まい観蔵院
当時の地番は浅草永住町十一番地、現在の台東区電報局の近くだそうです。
柴五郎が居候した家ですね。
このあと山川家は根岸に移転して長くは住まなかったようです。
次は青山霊園です。
青山墓地には山川家のお墓だけでなく会津藩出身者のお墓が数多くあります。
秋月悌次郎や健次郎と一緒に長州の奥平健輔を頼って会津を脱出した小川亮のお墓もあります。
山川家のお墓にはお参りして来ましたが又他の方々のお墓参りもしたいと思っています。
もしいらっしゃりたい方がありましたら 青山霊園はとても広く探すのが大変なので事前に位置番号を調べ管理事務所で略図を貰って行かれるのが良いとこの本にも書いてあります。
谷中霊園
浩の妹操の夫で佐賀の乱で戦死した小出光照のお墓は谷中霊園にあります。
ドラマでもそうでしたが子供の時から戊辰戦争、斗南へとずっと一緒で斗南藩消滅後青森県に勤め佐賀へ移動して難に会いました。
亡くなった時浩の詠んだ歌です。
「後れつる身こそつらけれ死出の山越は共にと思いしものを」
市谷富久町源慶寺
小出光照のお墓が出ましたので幼い時から3人一緒にいた竹村俊秀の葬られているお寺の案内です。
思案橋事件で捕らえられ刑死した竹村俊秀、井口慎次郎、中原成業の3人のお墓があります。
今戸の称福寺
思案橋事件の首謀者永岡久茂が葬られています。
ドラマには登場しませんでしたが広沢安任と共に斗南では小参事として浩を助けて働いた人です。
それと思いがけない事にこのお寺に川崎尚之助が久茂より一年前に葬られていたそうです。
この本が発行された時点では久茂と尚之助の間に関係は認められず単なる偶然かと書かれていますがこのドラマによって尚之助の事がかなり判ってきたようなので現在は何か新しい情報があるかもしれませんね。
白金の興禅寺
神保修理、萱野権兵衛のお墓があります。
西新宿
お墓ではなく広沢安任終焉の地と紹介されています。
淀橋角筈の牧場出張所で没したと記されているそうです。
今は角筈の地名はなくJR新宿駅周辺としかわかりません。
この頃浩の家はは牛込だったそうですから割りと近かったんですね。
浩にとっては一緒に苦労した仲間や友人が次々に亡くなって行く・・・そんな思いが先日も取り上げましたがこの歌になったんですねえ。
君も又すててお行きか今はよにかぞへんほども友はなき身を
何だかお墓の案内になってしまいました・・・
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